第五集 「へびのむかしばなし」

白蛇大神のこと

 むかしむかし、女神山山ろくに、数人の使用人を召抱えている、大きな屋敷を構えた豪農があった。

 ある夏の夜のことである。

 主人長兵エも、使用人達も既に寝静った丑三つどき、長兵エは素足に何かヒヤリとさわったものがあるのに目を覚まし、ガバッとはね起きた。

 片方の足がひどく重い。家の子郎党を呼び起し、灯りをともした。長兵エも郎党もアッと腰を抜かさんばかりに驚いてしまった。

 なんと体の真白な太い蛇が幾重にも足にからみ鎌首をもたげて長兵エをにらみつけている。長兵エはこれは大へんなことになったとなんども足を振って振り落そうと焦ったが、蛇は離れるどころかますます巻いた力を強めるばかりである。

 業を煮やした長兵エは、そのまま土間に掛けてあった磨ぎすました鎌をもって外に出た。

 長兵エやにわに鎌をもって、蛇を下からザクッと切り上げた。バラバラッと切れた蛇が落ちていった。



 長兵エは薄気味悪い、眠れぬままに朝を迎えた。そして夕べ切り落した白い蛇を見るため外に出た。

 長兵エは驚きの大声を上げてしまった。日はそれ程大きな大蛇とも思わなかったが、なんとそれがタンガラで七ッ半はあろう大蛇になっていて小山をなしていたのである。

 長兵エは、後の崇りを恐れ一族をあげて手厚く葬り三尺四方の土盛りをしこれを「蛇塚」とした。

 しかしその後も自蛇の怨霊が出て悩まされ災が絶えなかったのでこれを「蛇類明神」とし、長兵エー家の氏神でああった稲荷様と合せて祀った。その後もなんとしても明神満足がしなかったので、更に 「白蛇大神」と改めたところ災難は立ちどころに無くなった。

 長兵エの家は、以前のような繁栄を取り戻したという。この「白蛇大神」は、今も経承されその家の氏神様として祀ってあるということである。

 

蛇なめ石のこと

 むかしむかし、布川村のある大邸宅に庭園をつくることになり、数十人の人足を駆使して、さまざま大小の石を邸内に運んでいた。

 その中の一つ、これは小手姫さま御前堂近くの川原から運んでいった大石であるが、邸内の門にさしかかったところ、どうしたものかそれより後にも先にもビタとも動かなくなってしまった。
 数人の頭株の者が集り相談をしたが、なんの名案も浮んでこない。

 思案に余っていると、一人の真白いひげの老人がやってきた。
 老人は、石を眺めたりすかしたりして見ていたが、
「どうもこの石は蛇に関係がありそうだ。大蛇がなめた形跡がみられる。大蛇は女の髪の毛を好むから、髪の毛の網をかければ動くかも知れん。」
と教えて何処ともなく立去っていった。

 やがて寄せ集められた女の髪の毛で一本の太い網がよられた。
「それ引いてみろ。」
と掛け声もろとも、今までビタともしなかった大石がグラリと一回転し、後はスルスルと邸内になんの苦もなく運び込まれたという。
 それからこの石のことを「蛇なめ石」と呼ぶようになった。

 

蛇王さまのこと

 むかし、この土地でたくさん蚕を飼っていたときのことだ。蚕がねずみに食われて困っていた家があった。

 困って困って、家の向かいにある蛇王山の蛇王権現がまつってある場所へ行くことにした。

 お参りに行って、蚕が無事あがりますようにと拝んだ。しかしそうしてお頼みしても、それを聞いているか分からない。聞いているならお姿をみせてもらいと頼んできたという。

 

 そうしてしばらくした時のことだ。いつものように棚にワラダをあげて、蚕を育てていた。家の人が蚕に食べさせてやろうと、桑をかけようとそのワラダをおろしてみて、「あっ」と驚いた。

 なんと大きな蛇がとぐろを巻いてワラダの中に座っていたのだ。

 蛇王権現の神さまはちゃんと頼みごとをきいてくださったのだった。

年々養蚕をする家は無くなっていくが、今でも蛇王権現はひっそりと山の上で家々を見守っている。

 

 

蛇類明神と法印

 むかしむかし、女神山は陰神山だとか、水霊山などと呼ばれていた。

 この山には、七まわり半も山をとりまくほどの大蛇が住むと伝えられていて、村人は蛇類明神の祠をたててまつっていた。薪とりやワラビとりに入るときは、必ず鶏の卵を祠におそなえして安全をお祈りするならわしがああった。

 ところが、ひとりのごう慢な荒法印がいて、大変な鼻息で

「バカバカしいかぎりじゃ。わしは卵でもなんでも食って見せるぞ。何のたたりもあるもんか。」

と威張っていた。

 

 ある日、その法印は山に登って蛇類明神の祠に行くと、お供えしてある卵をみんなたいらげて、こう言った。

「やい蛇類明神出てこい。お前の力が強いか、わしの法術が勝つか試してみよう」

 そして荒塩をまき、松明をともし、呪文をとなえて調伏にかかった。

 しばらくすると、西山(今の吾妻子富士)の方角に黒雲が湧き出てきて、見る間に大雨わ岩をたたきつけるようにやってきた。おまけに、大風が吹きまくった。

 法印はみるみる大風に押しまくられ、東側の急な岩壁から吹き飛ばされて落ちていってしまった。

 体ごと岩に叩きつけられ、ゴロンゴロンと石が転がるように転がり落ちてそのまま死んでしまった。

 

 いまでもその話は言い伝えられていて、村の人は山に行くときは必ず卵を祠におそなえして祈るならわしになっている。

 

蛇のたたり

 今からずっと昔のこと、月舘町布川の村石というところのお大尽さまのところで働いている人がいた。

  その人には、おむらという、器量も気立てもよい年頃の娘がいた。いつのころからか、毎晩暗くなってくると、立派な身なりをした男が娘のもとへ通うようになった。

 家の人たちはどうもおかしい、この辺に住んでいるような身なりの男ではないようだと不審がった。そこで娘に、

「今夜、男がきたら着物の小袖さ針刺してやれ」

と言った。その晩、娘は言われた通りにした。

 あくる日、その針につけた糸をたどっていくと、杉の大木のところにつながっているのを見つけた。

 

 村石の旦那のところにこのことを話すと、その男は只者ではないようだから、煮立った湯を杉の大木にかけてやれと言う。

 そこで杉のごろ穴へ煮え湯を勢いよくかけると、大きな地響きが鳴ってさわぐ。穴の中をのぞくと大きな蛇が死んでいたのであった。

 その蛇がたたってしかたがなくなって、蛇霊明神をまつることになった。羽山さま(羽山神社の神様)と一緒に、小さな木の宮ではあるものの、今でも大切にまつられている。
 

 


 

出典
月舘町伝承民話集
おらがまちのとおい昔ちかいむかし

 


 

 

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