糠田の熊野神社

img_nuka1.jpg旧糠田の村社で、字宮前に鎮座まします。祭神は伊邪奈岐尊、伊邪奈美尊、速玉雄命の三柱です。縁起等は明らかでありませんが、「伊達秘録」によると、「西館城主佐藤民部義忠当社を欽慕した」とあります。

その他の雑録によると、人皇第五十二代瑳蛾天皇の御宇の弘仁二年(811年)陸奥出羽の按察使兼鎮守府将軍文屋綿麻呂が東国へ下向の際、紀州熊野生神をここに勧請し、宮内村国治郎を普請奉行として神殿造営にあたらせ、天長元年(824年)に竣工し同二年に鎮座式を行なったとあります。

その後、時とともに荒廃してきましたが、元暦の頃、西館城主佐藤民部義忠が当社の再興をはかり、寛喜元年(1229年)宮殿を再建、さらに永享年間(1430年頃)に大修理をしました。当時の糠田村は、現在の大字月舘をも含み、当社はその村の鎮守であったといいます。その後、上杉統治になり、鎮守を別にしたため当社頭も縮小しました。寛永十三年には正一位を贈られています。社殿はその後数回修復、再建をくり返し、現在の社殿は明治28年から33年にかけて造営されたもので本殿の周りの彫りものなど美事なものです。
(「ふるさとの小径をゆく」より)

ページトップへ戻る