愛宕神社

月見橋の西、三百段近い急な石段を昇りつめると愛宕神社があります。祭神は可遇突智命で、以前は愛宕権現といいました。同七年の地祖改正により御代田に編入され愛宕大権現を愛宕神社と改めました。明治十一年に社殿を造営して今日に至っています。

かつて、当地をめぐって御代田と月舘が争ったとき、裏手より御代田、表手より月舘の代表者が駆け登り、その勝者の方にこの地を所属させることになりました。その結果御代田が勝ち、愛宕神杜は御代田のものになりました。境内入口に建てられた石灯篭は天明三年と天明八年のものですが、ともに築舘村と刻まれて旧村名を今に伝えています。

 

信達一統誌には「本尊将軍地蔵尊」と記され、さらに、「将軍地蔵尊は修羅闘争の瞋恚を調伏し太平静謐を加え給う」云々との説明がつけてあるので、当地方にあっての重要な社であったことが伺えます。愛宕権現の本地仏は将軍地蔵とされるので本尊となったものと考えられます。文化の初期までは別当正光院清水寺清音坊法印がいて全盛を極めたといいます。現在、二間半四面の社殿はたいへん荒廃していますが、造作から住時の盛況が偲ばれます。なお、この地は殿上館の一角にあって物見の役割を果たしていたとも考えられます。

境内の南端にある堂は「観音堂」で、祀られている観音像は「焼け観音」と呼ばれるように、木造の立像の下半分が焼けています。五幸山の火災のとき飛んできて、この堂脇にある杉の大木に当たったのだという伝説もあり、そのときの穴といわれるものもみられます。(「ふるさとの小径をゆく」より)

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現在では7月の第三日曜日が祭礼の日となっています。

愛宕神社の隣の観音堂 “焼け観音”は、この日のみその姿を見ることができます。

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